桃山時代を終わらせた幻の城。指月城の遺構が見つかった!?

2015.06.19

キャプチャ現在の桃山城(写真はウィキペディアより)

今朝の新聞を見てびっくり。
1面の左側。
大きな写真入りで紹介されていたのは伏見城の金伯瓦

もう少し丁寧に記事のタイトルを見直します。

伏見城の金箔瓦ではなくて
初代伏見城の金箔瓦とあります。

そうです。
幻とさえ言われていた初代伏見城。
そもそも存在すら疑わしいとされていました。

それが指月城(しげつじょう)です!

現在では桃山城とよばれるこのお城。
実は3回も築かれています。

もともとあった聚楽第を破却してつくりだしたのが
初代伏見城と呼ばれる指月城。

その城が大地震で倒壊。
近くの木幡山に再建築されます。
これが二代目伏見城の木幡山城。

そして関ヶ原の合戦での焼失後に
天守閣がその同じ場所に築かれます。
これが三代目伏見城です。

その後、徳川三代将軍となる
家光の将軍宣下が行われると廃城となります。

辺りには桃の木が植えられ
桃山と呼ばれるようになります。

現代ではこの城を総称して
桃山城と呼ばれるようになります。

戦国時代が終わって
江戸時代が始まるまでの期間、
安土桃山時代。

豊臣秀吉が活躍した頃を
桃山時代と呼ぶのはこの城の名称から来ています。

時代の名称になるほどに
重要なお城だった指月城ですが

ほとんどその存在は不明だったんです。
そもそもこの城は秀吉の隠居城。

いわゆる「終のすみか」ってやつです。

それなのにここにいた期間がたったの2年。
大地震で倒壊したために
ほとんど記録も残っていなかったんです。

そんな指月城の
金箔瓦、大規模な石垣や堀が発見されたというニュース。

もちろん秀吉の家紋も入っています。

伏見は巨椋池周辺の水運の利用によって
京・大阪を結ぶ交通の要衝でした。

そこへ大阪城から移り住みます。

その後、朝鮮出兵中に起こった大地震で
周辺の庶民の暮らしぶりを直撃したにもかかわらず
木幡山に自分の城の再建を優先したこと。

派手好きの趣向は
世相なんでお構いない。

キラキラ光る天守閣
黄金だらけだったんでしょうね~

これが明らかに世間の反感を買います。

代伏見城・指月城こそが
桃山時代を終わらせた
きっかけを作ったお城だったんです。

指月城に移らず
ず~っと大阪城にいれば
豊臣家はもっと反映していた!?

江戸時代なんてなかったかもしれません。

そう思うのは
ボクが大阪人だからでしょうか。。。

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山本 やすぞう
1972年大阪市生まれ。近畿税理士会北支部所属。TKC近畿大阪会所属。 大河ドラマを題材に使い、名シーンや名セリフを交えたわかりやすい内容が評判となる。常識に縛られずその会社らしくあろうとする経営者を応援することから、中小企業の経営者のみならずスタッフまで「私にもできる」と思わせ、信奉者が増加中。 計算するだけでなく、一緒に利益を探す税理士として活動中。

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