6月2日に想う。なぜ本能寺の変なのか。

2017.06.02

キャプチャa映画・本能寺ホテル(画像は公式サイトより)

昨日から6月ですね。

暦が5月から6月へ進んで
新緑から梅雨時期へと季節が変わっていく。
そんな話題がたくさん目にしました。

そして今日は6月2日。
今から435年前の今日。
天正10年(1582年)の6月2日。

京、本能寺に宿泊していた
織田信長が明智光秀に討たれました。

「本能寺の変」です。

いまだに謎の多いこの出来事。

同時に日本史の授業でも習うので
歴史ファンでなくても誰でも知っていると
言ってもいいぐらい。

もう少し詳しく説明しますね。

6月2日。夜。

丹波亀山城を出発した明智光秀。
兵力は12,000人の軍勢です。

目指した先は京、本能寺。

そこにいたのが主君である織田信長。
手勢300人ほどで宿泊していました。

在京する公家や
有力な商人たちに
自慢の茶器を披露していていたんです。

自らも中国地方へ出陣する
旅の途中。

だからお寺に泊まっていたんです。

その夜のこと。

戦国時代。

ホテルはありません。

街道の整備も不完全で
国境の往来は不便なまま。

小規模は旅籠はあっても
大勢の宿泊ではお寺が一般的に
機能していたんです。

繰り返しますがお寺です。

フル装備の明智軍は
信長が立てこもるお城ではなく
宿泊するお寺に対して攻撃します。

戦う意思をもって
展開した野戦でもなく不意を衝く奇襲。

さらに堂々とお昼までもなく夜中に。

もちろん相手は敵だと認識もしていない。

こんな状況での
明智軍の勝利だったんです。

この出来事を
「本能寺の変」と
後世の人が名付けたんです。

・ 織田・明智戦争でもなく
・ 京の陣でもなく
・ 京の役でもなく
・ 本能寺夜襲でもなく
・ 本能寺合戦でもなく
・ 本能寺の戦いでもなく
・ 本能寺の乱でもなく

・・・本能寺の変と呼びました。

「〇〇の変」

これは政権交代や主導権の奪取という意味。

当時天下人に一番近かった織田信長。
信長がトップに立つ織田家内部の主導権争い。

それが本能寺の変。

そう考えるとわかりやすい。

だから「戦争」ではない。

「陣」でも「役」でも「夜襲」も「合戦」も「戦い」もなんです。
これらは敵対する者(国)同士の争いだから。

「乱」が一番ややこしいかも~

これは当時の幕府や朝廷への反乱をさします。

織田家は京を中心に勢力下においていましたが
幕府を開いていなかったから。乱とは呼ばないんです。

そんなこんなで・・・本能寺の変。

映画でも観ながら
6月2日の夜をお迎えてくださいね。

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山本 やすぞう
1972年大阪市生まれ。近畿税理士会北支部所属。TKC近畿大阪会所属。 大河ドラマを題材に使い、名シーンや名セリフを交えたわかりやすい内容が評判となる。常識に縛られずその会社らしくあろうとする経営者を応援することから、中小企業の経営者のみならずスタッフまで「私にもできる」と思わせ、信奉者が増加中。 計算するだけでなく、一緒に利益を探す税理士として活動中。
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