鎌倉殿も終盤へ(画像がウェブから)
12月18日の48話が最終回。
明日が36話というタイミングで
このブログを書いています。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
物語は1180年の頼朝の挙兵の
少し前から始まりました。
源氏一族の後継者・頼朝は先の戦いで敗れ
伊豆に流されていました。
京の都から遠く離れた坂東地方。
鄙(ひな)と呼ばれた未開拓の地です。
当時、京・奈良・大阪という畿内が都会で
都には帝や公家を中心とした朝廷があり
そこから地方を統治していました。
政(まつりごと)の中心は摂関政治を経て
院政へシフトする中で治天の君が登場した頃。
治天の君とは子や孫に譲位した帝のこと。
上皇さまや法皇さまと呼ばれます。
その側近として活躍して出世したのが
武士であり特に平家でした。
反対に敗れて地方に落ち延びた
源氏の棟梁が源頼朝です。
頼朝と坂東の武士たちは
武士による武士のための政を目指します。
それは主人公・義時の苦悩だったりもする。
都から伊豆に流されて20年後。
以仁王の令旨に呼応して挙兵します。
緒戦こそ勝利したものの、
数で劣る頼朝軍は敗走します。
都の権威は絶大。
坂東の地でも武士たちは平家方一色で
源氏に味方する武士たちはわずか
・・・そう思われた時に立ち上がったのが
伊豆以外にも相模や房総半島の武士団。
土肥実平・和田義盛・三浦義澄・千葉常胤。
そして上総広常。
多くは自分たちが治める土地の地名が
苗字なことからも南関東が結束した感じ。
この上総国の総大将ともいうべき
上総広常の合力によって一挙に形勢逆転。
平家に与する勢力を圧倒し武士団をまとめます。
鎌倉を本拠とした頼朝は「鎌倉殿」と呼ばれます。
帝を頂点とする公家の朝廷に対して
鎌倉殿を担ぐ武家の政権が誕生です。
都のメジャーに対する
坂東のカウンターカルチャー
そう思うと分かりやすいでしょ。
律令体制の整った都の文化は優雅で雅。
権力以上に権威に満ち溢れています。
それに比べて
鎌倉殿のまわりの武士たちは
自分たちの土地を第一に命を懸けます。
政の中心は土地の訴訟が大半なぐらい。
まだまだカウンターカルチャーブームなぐらい。
それから20年ほどの間に・・・
鎌倉殿は都の朝廷から征夷大将軍の位を授かり
全国に地頭を派遣する権限を持ちます。
ブームが成功してメジャーになった。
自分たちが対抗してはずの都の権威は小さくなり
鎌倉殿の界隈がメジャーになってしまう。
カンウターとして誕生した鎌倉殿は
いつの間にか坂東の武士と軋轢を生み、
その立場を他の御家人(坂東の武士)に追われます。
鎌倉あっての北条か
北条あっての鎌倉か
頼朝が挙兵したその時から付き従ってきた
北条時政が一挙にその権威を掌中に収めます。
北条家の就いた執権。
徐々にその地位を上げた御家人
北条時政とその子義時の思惑の違いも
そのあたりにあります。
決してメジャーにならず
永遠のカウンターカルチャーな存在。
それが主人公・北条義時がたどり着いた
「鎌倉殿」像かもしれません。
そんなことを想いながら
年末までもう少し楽しませてもらいますね~~