武田信玄・勝頼という
絶対的なよりどころを失った真田家。
敵である織田家に仕えると決ます。
天正10(1582)年6月。
今度は本能寺の変で信長が亡くなります。
ここから仕える主を次々に変えていきます。
その後、
第一次上田合戦で真田家が徳川軍を破るのが
天正13(1585)年8月。
この間たったの3年。
大河ドラマ真田丸
第13回は決戦。
ついにあの徳川家康が
上田城をめがけて攻めてきます。
当時、上田城こそが真田家の居城。
同時に上州にあるもう一つの拠点・
沼田城へも北条軍が押し寄せてきます。
誰がどう考えても勝ち目はありません。
そもそも規模が違いすぎる。
大名と国衆では
大人と子供ほどに力に差がある。
それでも真田昌幸はそれを楽しんでるかのようです。
どうしてでしょうか。
きっと
・・・チャンスはピンチの仮面を被ってやってくる。
そう信じているからだと思う。
限られた兵力で
限られたお金で
限られた時間で
限られた領土で
限られた空間で
限られた・・・で
どこまでやれるのか。
とにかくやってみることで
最大の成果を生み出すことができる。
そのうちに
限られた兵力だからこそ、仲間意識が生まれ
限られたお金だからこそ、効果的に投資して
限られた時間だからこそ、集中して実践して
限られた領土だからこそ、愛着と関係性が生まれ
限られた空間だからこそ、空間を閉じて有利にも働く
そんなプロセスが観ていてとても楽しい。
大軍に対して
たんなる籠城では勝ち目はない。
そこで思いついたのが
上田城全体を巨大な迷路に見立てること。
迷路に誘い込んで逃げ惑う敵をせん滅するという作戦。
町の大通りには乱杭(らんぐい)を打ち込みます。
城の北へ抜ける路地は隙間なく乱杭で通行止めにします。
落とし穴も掘れば
道は曲がりくねって先が見えない。
路地や民家に隠れている農民も
杭の隙間か槍を突き、石を投げて応戦。
先に進むにつれて道幅が狭くなり
進軍当時は5列縦隊だった足並みは
乱れて2列縦隊になっている。
隊列が細くなれば
大軍を擁する徳川軍とも互角の勝負ができます。
まさに真田の狙い通りです。
ここまで逃げてくるように仕向けたのが主人公・信繁。
それでも
二の丸から本丸へ
どんどんお城の奥へ。
戦隊を乱しながらも
進軍を続ける徳川軍。
ついに本丸の大手門へ到着です!
その瞬間。
一斉射撃の開始!
開門と同時に馬上に現れたのは大将の昌幸。
徳川軍はあっという間に総崩れ。
進軍ではなく計略だったんです。
お城の中心まで攻めてくると逃げることも至難の業です。
それでもなんとか脱出して川を渡って逃げる徳川軍。
それを見て上流で流れを止めていた堰(せき)を切ります。
鉄砲水です。今度は水責め。
もう圧倒的です。
徳川軍の足軽が流されていきます。
7,000人の徳川軍を
2,000人の真田軍が破った上田合戦。
それは巨大な迷路ゲームに仕立てることだったんですね。