せっかくなので少し岡山城と
その時代の予習をしておきますね。
1600年。関ケ原の戦いのころ。
岡山城主・宇喜多秀家の石高は
備前美作57万石。
天下人・豊臣秀吉の石高は200万石。
この数が大きいのか小さいのか。
そもそもなにを表しているのか。
日本史になじみのない方には
分かりにくいかもしれませんね。
夏休みなので自由研究みたいに
まとめますね。知っておくと
大河ドラマを観るのにも
ずいぶん役立ちますから。。。
江戸時代までは地方分権で全国に
領国(藩)という地方自治体がありました。
その財政はお金ではなくお米でした。
領主(藩主)←お米←村ごと。
つまり領国あたりのお米の撮れる量。
その単位が石高です。
当時のトップ7を発表しましょう。
1.徳川家康255万石
2.上杉景勝120万石
2.毛利輝元120万石
4.前田利家83万石
5.伊達政宗58万石
6.宇喜多秀家57万石
7.島津義久55万石
岡山城の宇喜多秀家の収入は第7位。
なかなかに財政の大きな藩ですね~
戦国時代も江戸時代も同じですが
大名と呼ばれる城持ち領主の収入は
この石高で表現されます。
繰り返しますが
石高はお米の収穫高です。
宇喜多秀家の石高は57万石。
なんとなく宇喜多も大きそうですが
お米の収穫高ではわかりにくいので
金額に換算してみましょう。
戦国時代はお米と通貨単位との
兌換(だかん)はだいたいこうなります。
1石=1貫 ← 人ひとりが食べる量/年
100疋 =1貫=1,000文
当時は銀が通貨の中心でした。
現代も戦国時代も物価は変動するので
およそで考えます。
白米1合は約150グラムなので
1石=150キロです。
お米屋さんで買うお米の値段は
10キロ当たり5,000円だとすると
1石=75,000円ぐらいでしょうか。
これを基本に計算すると
75,000×57万石=
427億5000万円です。
宇喜多家の収益は約427億円ほど。
平成26年度の県内総生産は
7兆円ほどですからかなり少ない
気がしますね。
それでも年商427億円!
そう思えばかなりの規模ですね。
天下分け目の関ケ原の戦い。
後世にそう呼べれる大事件に
どう向き合ったのでしょうか。
ワクワクしますね。
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