「あぁああああ力が欲しいのう」
「信濃は我ら国衆で治める」
「大名はいらん!」
大河ドラマ真田丸第9回は駆引
旧武田領の覇権をめぐる
北条氏、上杉氏、徳川氏の争い。
その中で弱小国衆である
真田昌幸の奮闘ぶりが描かれています。
その辺りについて。
現代の会社経営にたとえるとこうなります。
⇒ 大手チェーンに対抗!奮闘する商店街はガイアの夜明けか?
そこで今回のブログでは
物語によく出てくる「大名」と「国衆」の違いについて。
お届けしますね。
それは戦国時代当時。
土地への支配体制を整理すると分かります。
当時の日本国は
全国を60あまりの都道府県に分割していました。
今よりも少し多いですね。
ひとつの県の中には
地方(地域)に分かれて小さな村々があるわけ。
だから、県の構成は今も昔も同じ。
物語に出てくる
小県の国衆と呼ばれる人たち。
真田さんのほかに
室賀さんや出浦さんたち。
彼らはそれぞれが
長野県の小県地方にある村の村長なんです。
そう思うと分かりやすい。
真田村の村長が真田さん。
室賀村の村長が室賀さん。
武石村の村長が出浦さん。
影響力の及ぶ範囲がとても限定的。
そんな村長の真田を悩ませる
織田、徳川、北条や上杉は大名と呼ばれます。
彼らはひとつの県を支配する知事です。
北隣の新潟県の知事が上杉さん。
南東隣の埼玉県、東京都、神奈川県、静岡県の東1/3、千葉県、群馬県、さらに栃木県の知事が北条さん。
少し離れて静岡県の西2/3、愛知県の西半分の知事が徳川さん。
知事の中でも北条さんのエリアが圧倒的に広い。
複数の県の広域連合しているという意味では
関東圏の州知事のようなイメージです。
徳川さんも
東海圏の州知事といってもいいほど。
ではどうして真田さんたちの県には
知事がいないのでしょうか?
それが問題なんです。
県知事がいれば守ってもらえるのに。
長野県は県内に大きな山や川で分断されていて
平(たいら)と呼ばれる小さな平野が点在しています。
そのために県としてまとまるよりも
南部、北部さらに奥部に分かれて
村長たちが寄合で地域を治めていたんです。
当時の日本には
国を代表する総理大臣がいるのではく
どの県知事が日本を治めるのかを競っていたんです。
では本能寺の変で亡くなった
織田信長さんはどうだったのでしょうか。
愛知県の西半分、岐阜県、三重県、
滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、
岡山県、鳥取県、福井県さらに石川県の県知事でした。
数えるまでもありません。
日本の中心圏を束ねる州知事でした。
あと一歩で総理大臣か!?
そんな感じでしたね。
さてさて、
徳川さんと北条さんを
甲斐の国(山梨県)へ誘った真田さん。
その駆引きは見事でしたね~
真田さんのスローガンは
「国衆による信濃の自治」でした。
その中心に真田さん自身がなるってこと。
これは真田村の村長さんが
県会議員を飛び越えて一驚に
長野県の知事選に立候補する!?
そんな準備だったわけです。
さぁ今後はどうなるのでしょうか~