大河ドラマ『西郷どん』
第5回まで進んできましたが
今回は第2回に戻って当時の年貢の仕組みについて
ブログを更新しますね。
借金のカタに娘が売られていく。。。
ほら年貢が高くて農民の生活が
困窮しているシーンが描かれていました。
その辺りを解説しますね。
江戸時代初期の
年貢の徴収方法は検見取(けみどり)でした。
各藩において代官が田んぼに赴いて
数か所ごとに一坪分のお米をサンプル徴収するんです。
そして村全体の生産量を推計する仕組み。
そのうちの一定の割合を年貢として徴収します。
分かりやくて論理的です。
年貢の割合が高いか低いかは別問題ね。
ただこれでは凶作が続くと藩の収入が減るんです。
江戸時代の中期以降は凶作続き。
江戸幕府の運営がピンチになったんです。
そこで8代将軍徳川吉宗の時代に改革が行われます。
教科書にも出てくる「享保の改革」です!
過去の数年間の収穫高の平均を基準にして
一定量の年貢を徴収する方法に変更。
これが定免法(じょうめんほう)。
西郷どんでも描かれていた
当時の年貢の徴収法。
豊作・凶作を問わないという画期的なアイディア。
徴収コストも削減できて検地の苦労も減ります。
豊作時にためておいて凶作時にその分を納めるだけ。
ただし・・・
徴収方法はカンタンでも
生産量が増える仕組みではなったんです。
飢饉などで凶作が続くと
毎年の年貢が十分に納めされなくて借金が増えてばかり。
仕方なく逃散する農民が続出したんです。
返済する当てがなかったんです。
当時。逃散は重罪でした。
田んぼを捨てて他国へ逃亡すること。
亡命です。
そんな時代背景だったんです。
年貢は税って思っていませんか。
それ勘違いです~~~年貢は地代です!
江戸時代までの封建社会では
お殿さまって大地主だったんです。
農民はお殿さまの土地を借りて
居住して農作業をしていたんです。
その土地の使用料として年貢を払っていました。
そう思うと定免法が適している気がします。
毎年の地代が変動する方が困りますよね。
加えて当時。
商売はもっとも下賤な行為とされていました。
士農工商という身分でも
商人は最下級の身分だったぐらい。
商売にはほとんど税は課せられたいない。
それが江戸時代と思ってもいいほど。
そりゃ商人が力を蓄えるはずです。
封建社会は農耕社会。
身分の低い層ほどと富裕層でした。
ですから借金のカタに売られた行く子も
商人に奉公に出るぐらいです。
家族そろって田畑で農作業するのではなく
町へ出てお店で使用人として働くぐらい。
すべてが風俗店などに
売られる感じでもなかったわけです。
そう思うと安心でしょ。。。
一生懸命な西郷吉之助。
とにかくカッコイイ島津斉彬。
毎週。楽しみです~