復権!秀吉の後継者・豊臣秀次

2019.09.04

上:秀吉が秀次の2歳の息子の処遇を伝える手紙

今朝の読売新聞。
豊臣秀吉に関係する書状が
新たに2通、確認されたらしいんです。
書状って手紙のことです。

特に上の写真にある手紙に注目。
原文が読めないのが悔しい。。。

桃山時代の末期。
権力者・豊臣秀吉が関白職を譲った
甥の豊臣秀次の息子、当時2歳を
大和の国の国主に据える予定だと。

そんな内容です。

秀次の切腹する3か月前に
書かれた手紙なんです。

ここ重要!

当時、秀吉には実子がなく
後継者の地位にあったのが
甥の秀次でした。

大和の国はその秀次の弟・秀保が
国主でしたが亡くなったことを
受けての秀吉の意向とあります。

・・・それで何が言いたいのか?

実は従来からの定説では
甥の秀次が叔父である秀吉に
謀反をたくらみ、

それが露見したことで
切腹させられた。

そう伝わっているんです。

ではどうして甥の秀次が
謀反をたくらんだのでしょうか?

それは秀吉に実子(息子)が
誕生したから。のちの豊臣秀頼です。

将来、自分の地位(関白職)が危うくなる
その前に・・・それが露見した。
そんなシナリオです。

叔父・甥は対立関係にあった。
これまでの大河ドラマでも
よく描かれています。

少なくてもその当時は
叔父である秀吉は実子が生まれても
甥の秀次を疎んじることもなくって、

関白職をはく奪するか
どうかはわからないけれど、
それ以上に秀次の息子のことも含めて
大切に扱っていた。

そんなことがうかがえる書状なんです。

まるで反対、仲良しでしょ。

いつも思うんです。
歴史はいつも新しいって。

そうだとしたら
秀次は秀吉から命じられて
切腹させられたのではなく、

謀反の疑いをかけられたことへの
潔白の証として自ら切腹した!

そうかもしれない。

秀次の人生は幼いころから
ずっと人質生活でした。
秀吉の意向のままに生きてきたんです。

最高権力者としての関白職も
自ら望んだものでなく、叔父・秀吉の意向なだけ。

そうそう、関白って現代では総理大臣です。

戦国を戦で勝ちあがり
天下人になった秀吉と違って
秀次は教養のある文化人でもありました。

古典の収集にはげみ
源氏物語を書写するなど
公家社会への参画に励んでいた。

そんな秀次像は最近の大河ドラマでは
『江』や『真田丸』でも描かれました。

これまで比較的評判が低くても
石田三成や今川義元などは復権してきています。

来年の明智光秀のように
大河ドラマの主人公になる日が
来るのかもしれませんね。楽しみです~

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山本 やすぞう
1972年大阪市生まれ。近畿税理士会北支部所属。TKC近畿大阪会所属。 大河ドラマを題材に使い、名シーンや名セリフを交えたわかりやすい内容が評判となる。常識に縛られずその会社らしくあろうとする経営者を応援することから、中小企業の経営者のみならずスタッフまで「私にもできる」と思わせ、信奉者が増加中。 計算するだけでなく、一緒に利益を探す税理士として活動中。

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