家康や三成の花押つきの署名は秀吉後のことを決める
遺産分割協議書のようなも(画像は公式サイトから)
NHK大河ドラマ真田丸。
ひっそりと太閤秀吉が亡くなるように描かれました。
派手好きな秀吉の最後としては
あまりに孤独な最後でしたね。
年寄と呼ばれる有力大名と
奉行と呼ばれる秀吉の側近による
合議制がスタート。
その一環で10名の大名が
署名し花押を押していましたね。
花押って自筆のサインのこと。
公式文章では署名押印が一般的ですが
この当時は署名花押が正式なスタイルで。
10名が連なって署名しているから連署。
この連署は秀吉没後の共同経営者の承諾です。
そのあたりの詳しいことはこちらへ
⇒ 五大老五奉行は家康と三成らの合議制ではない
よく考えるこれを
遺産分割協議書と捉えることできます。
だれに何を相続させるのか。
現代の感覚で確認してみましょう。
裸一貫。たたき上げで築いた㈱豊臣。
会長・秀吉さまは亡くなり
若社長・秀頼さまへ相続が発生します。
そんな感じ。
もちろん若社長・秀頼さまが
会長・秀吉さまの残したすべての財産及び
権限を相続します。
ちなみに秀頼さまは当時6歳。幼子です。
ではいったいどのぐらいの
遺産があったのでしょうか。
興味がわいてきます。
遺産相続の視点で書いていきますね。
まずは不動産です。
居住用の家屋として大坂城。
事業用の建物としては伏見城。
大きな社宅と大きな本社です。
居住用と事業用の違いは
誰がその場にいるのかで判断しましょう。
大坂城には秀頼が住むことになりました。
6歳ですからまだ仕事はできません。住むだけです。
だから大坂城は居住用。
では伏見城が事業用となる理由は
持ち主である秀頼がいなくなること。
加えて㈱豊臣の副社長・家康くんが
大坂城ではなく伏見城でお仕事をすることが
決まっていたからです。
直接、面会権を持った家康くんが
北政所さまや茶々さまと話されているシーンがありました。
あれは大坂城。
オーナー一族の自宅への
ご挨拶といった感じでしょうか。
どちらのお城も本丸・二の丸・・・
(この当時まだ真田丸は建設されていません)
水堀・空堀・城下町を含めてその敷地は広大で
実際はどの程度までがお城とするのか。
正確な面積は未確定ですね。
次にいちばん気になる現金について。
当時はお金は金銀です。
大阪城内に貯えられていた莫大な金銀。
金9万枚。銀16万枚。
一体いくらぐらいの価値なのでしょうか。
換算してみましょう。
ある本では
金1枚は10両大判にあたり
お米に換算するとおよそ30石。
金銀をあわせると250万両になります。
石高にして750万石としています。
とにかく莫大な貯金です。
1石を現代の金額で75,000円で計算するとします。
すると・・・
750万石×75,000円=562,500,000,000円
5625億円です。
これがいわゆるタンス預金の残高となります。
5,625億円のタンス預金です!
自前の蔵に積みあがっていました。
ほかにも
呉服反物はもちろん
茶道具・書画骨董・刀剣・大砲・弓矢・武具・弾薬・・・
加えて全国の鉱山の採掘権 ← これが大きい!
財産がありすぎて確定できないほど。
さらに㈱豊臣の株式です。
まず㈱豊臣の売上ですが
摂津・河内・和泉を中心に全国で220万石の収入。
五公五民としても
110万石の収入が毎年あります。
当時の収入はお米で計算します。
そのお米の出来高は作った農民との折半します。
だから110万石。
110万石×75,000円=82,500,000,000円
毎年825億円も入っている巨大会社の株式も相続します。
稼ぎまくった㈱豊臣の会長秀吉。
さぞかし盛大な社葬が行われたように思います・・・が。
社葬がおこなれた記録は残っていません。
外国との戦争中を考慮した
結果のようですね。
あまりにも寂しい最期ですね。